本照寺について

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本照寺 全体

七百年以上の時を越えて、本照寺はこの地で人々の祈りを見守り続けてきました。
その始まりは、鎌倉時代の文永年間に遡ります。
佐渡へ向かう途上、豪雨に見舞われた日蓮聖人は、この地で雨を凌がれていました。
すると、村人に請われた日蓮聖人は、当地に生えていた藤蔓を筆として曼荼羅御本尊をしたため、人々に法華経の教えを説かれました。
この伝承が本照寺の始まりです。

祈りは特別な場所だけにあるのではなく、人の苦しみや不安に寄り添うところに生まれる――。

本照寺には、その原点が今も息づいています。
その後、日蓮聖人の命により六老僧・日興上人は高弟の日順上人と共に、
この霊地に伽藍を整備しました。
その法脈は絶えることなく続き、現在に至っており、宗宝数十点を格護する山梨の名刹です。

自分自身と向き合える場所

本照寺 全体
本照寺 全体

本照寺の想い

時代が移り変わり、人々の暮らしや価値観が大きく変化した現代においても、寺院の役割は「人の心に灯をともすこと」だと私たちは考えています。

悲しみを抱える時。
人生に迷う時。
大切な人を想う時。
そして、何気ない日常に感謝したい時。

本照寺は、誰もが静かに手を合わせ、自分自身と向き合える場所でありたいと願っています。歴史を守るだけではなく、今を生きる人々に寄り添いながら、祈りの心を未来へつないでいく。
それが、本照寺の変わることのない想いです。

住職 坪井 俊裕
坪井 俊裕

鬼子母神

本照寺の鬼子母神は徳川家光の側室である「宝樹院(お楽の方)」が四代将軍徳川家綱を妊娠した時に本照寺七代住職、日優上人によって安産祈願をした時に信仰された鬼子母神です。
また、武田信玄も深く信仰をされていました。
そんなご縁から本堂には菊の紋の仏具が奉納されており、鬼子母神堂には武田菱の使用が許可されています。

鬼子母神
誰もが静かに手を合わせ、
自分自身と向き合える場所でありたいと願っています。